くじらのねむる場所@はてなブログ

岡山県南西部在住。1983年生まれの40歳。経済、ミステリ、ウイスキー等について細々とブログに書いています

湯本雅士著『デフレ下の金融・財政・為替政策 中央銀行にできることは何か』感想

 本書は少々お高い(3,000円+税)ですが、リーマンショック以降の各中央銀行(FRB、日銀、ECB、BOE)の政策を概観し(第1章)、伝統的金融政策、非伝統的金融政策および為替政策の解説(第2章)、金融政策と財政政策の関わり(第3章)、中央銀行のコミュニケーションについて(第4章)、そして最後に「何をすべきか?」(第5章)で今後日本が取るべき経済政策を述べます。

 『金融政策入門』でも書きましたが、本書も非常に分かりやすくまとまっている本だと思います。

 特に第2章が素晴らしい!ここでは伝統的金融政策の説明から入り、それをIS−LM分析の枠組みを使って解説。そして「期待」を組み入れたニューケインジアンの金融政策をIS-MP分析の枠組みを使って解説しています。ここは非常にコンパクトにまとまっており、湯本先生の腕のよさを実感できる箇所だと思います。

 そして「第2節 ゼロ金利下の金融政策――理論的裏付け――」もすごい。ここでは2000年代に出た、ゼロ金利下における金融政策について論じた文献(海外・邦文)を列挙し、それを湯本先生が概観するという形を取っています。海外論文はクルーグマン先生の「復活だあ」から始まり、すべて湯本先生による簡単な要約と解説(コメント)がついています(邦文文献は題名の列挙のみ)。この部分を読めば2000年代に起こったゼロ金利下における金融政策の議論の流れが追えると思います。ここはコピーして取っておきたい部分です(笑)。

 さて、よくまとまった本ですが、後書きにあたる「おわりに」を読んでいて「おや?」と思ってしまった。それは次の部分。

  このことに関連して一言すれば、書店の店頭には相変わらず「崩壊」「凋落」「政策の失敗」といった言葉を売り物にした著作が並んでいる。そのほとんどは、情緒的・感情的な表現によって読者の目を引こうとする、いわゆるキワモノの類いであるが、中には著名な学者の手になるものも混在しているとなれば、単に無視するわけにはいかない。批判が高じて、政策担当者や自説を是としない論者に対する誹謗中傷に近いものまで散見されるに至っては、そのバランス感覚を疑わざるを得ない。現在金融政策の運営の責を担う人々のみならず、金融学会に籍を置く学者一般に対する人格攻撃ともとれるような、そうした表現がどのような経緯と背景で生まれたのか、局外者としては興味のあるところである。本書には、そうした風潮に対する筆者なりの抗議の気持ちを込めたつもりである。


 相当腹が立っていたんだなあ。たしかに古巣を攻撃されたら誰でも腹が立つか。ちなみに、ここで湯本先生が「政策担当者や自説を是としない論者に対する誹謗中傷に近いもの」の例として注釈であげているのが、『経済セミナー2010年8.9月号』に載った浜田宏一先生の文章、岩田規久男先生の『日本銀行は信用できるか』(2010)、若田部昌澄先生の『日銀デフレ大不況――失格エリートたちが支配する日本の悲劇』(2010)です。この中だと私は経セミの浜田先生の文章しか読んだことはないのですが、そこまでキツイ表現をしていたかなあ?読み直してみるか。

 
 章ごとの感想はこちら(本書の章番号はローマ数字だが、ここではアラビア数字に直しています)。
第1章 経済情勢の変化と政策対応
 本章ではリーマン・ショック後の各中央銀行(FRB、日銀、ECB、BOE)が取った金融政策(非伝統的金融政策)を概観しています。非伝統的金融政策にどのような種類があり、各中央銀行がどういう狙いを持っていて金融政策を進めていたが分かります。

 第2章 ゼロ金利下の金融政策
 全体の感想でも述べましたが、ここのまとめは非常に役立つと思います。

 後半、為替の話になるのですが、簡単な為替理論(「購買力平価説」、「金利平価説」)の解説の後、2010年ごろから始まった円高の話になり、岩田規久男先生の主張を取り上げ「岩田氏の議論の運びはいかがなものか」と書いてある箇所(p166-167)には苦笑してしまった。やっぱり相当腹が立っていたんだなあ。その部分を引用してみましょう。

 多くの批判をものともせず、この10年間飽くこともなく同じ主張を繰り返す、執念とも言うべき岩田氏の姿勢にはむしろ敬意を払わざるを得ない。しかも、同氏が10年前に唱え、政策担当者から強い拒否反応があった、日銀による長期国債の買い入れ増額によって長期金利を引き下げ(いうなれば、「流動性の罠」を乗り越え)、デフレに対処するというアイデアは現実のものとなっており、同氏が予言者として一部の熱狂的な信者を集めているのは無理もない。

 同氏の議論に対してはあまりにも機械論的貨幣数量説にすぎるということ、政策担当者に対して向けられる極端に攻撃的な姿勢の故に、学会からはむしろ異端者扱いをされてきた。その一方で、その論旨の単純明快さと、「物事のわからない、愚鈍な」政策当局に立ち向かう人物というイメージで、一般には人気を博してきた。

 しかも、前述したように、近年における同氏の議論は、当初のそれ(同氏言うところの「単純な貨幣数量説」)に比べて、期待(予想)の要素を入れた動学的な体系に変化しており、その意味で、政策担当者及び学会としては、(同氏を忌避するだけではなく)いま少し意味のある会話を交わすことができるようになってきているのではないかと思われる。

 ただ、同氏の特徴であるところの、「straw man(案山子)効果」を狙っているかのような議論の運びと、上記円高原因論の所でも示されている、理論的に重要な長期・短期の区別を明確にせず、同一次元で扱おうとする姿勢(中略)、一方高のみに偏る因果関係の理解(中略)、それに、なお止むことのない強い(時には感情的とも思える)政策担当者批判は依然として改まっておらず、意味ある対話を妨げる原因になっているのは惜しまれる。

第3章 金融政策と財政政策
 本章では、日米の財政の状況を概観し、非伝統的金融政策実施に伴い財政政策と金融政策の境目が曖昧になってしまったこと、そしてそれにともない金融政策や中央銀行が政治の場に引っ張り出されることが多くなったと指摘します。

 本章では2011年に話題になった日銀復興債の引き受けと日銀法改正案についての記述があるのですが、ある記述に驚いてしまった。それは次の箇所(p198)

  (みんなの党が提出した日銀法改正案を解説した後)世界に共通する中央銀行の設立の経緯と思想の根幹に真っ向から挑戦するこの提案については、さすがにまともには取り上げるものは少なく、提出された法案は廃案となり、また震災後一部に出た復興債の日銀引き受け案も、(日銀サイドのキャンペーンもあって)大きな問題になることはなかったが、メディアの一部では(そして学者の中にさえも)日銀法改正に賛同する声がなお根強い。


 えっ、「日銀サイドのキャンペーン」ってあったんだΣ(゜д゜ もちろんこの「キャンペーン」がどの程度かは分からないけど。これ書いちゃってもいいんだろうか?

 第4章 中央銀行コミュニケーション戦略
 本章では、中央銀行のコミュニケーションについて述べています。湯本先生は中央銀行の透明性はもちろんのこと、それを報道するメディアおよび受け手である国民のメディアリテラシーの重要性を指摘します。

 そして第2節で「インフレターゲット論再考」として、もう一度インフレターゲットを取り上げています。湯本先生は中央銀行の目的は「物価の安定」であって、「物価『指数』の安定」ではないことを強調します。そして次のように述べます(p228)。

 

それにもかかわらず、日本がデフレに陥っているのは日本銀行インフレターゲットを採用していないからだ、というような論調が未だに見られることは理解に苦しむ。日本銀行が採用している「スタイル」*1は、インフレターゲットに内在する、ともすれば硬直的な態度に陥りがちとなるという欠陥を十分に認識した上で、実質的には同じ効果(中長期的なインフレ期待を安定させるアンカーの役割)を狙う巧妙な方法であろう。

 
 えー、そうだったの? それと湯本先生は「物価の安定」であって、「物価『指数』の安定」ではないことを強調し、ややもすると指数にこだわり硬直的な運営になってしまうインタゲを批判するけど、いまのインタゲってある程度の幅を持った「柔軟なインタゲ」じゃなかったかなあ*2

 それと、本章の最後で湯本先生は次のようなことを述べています(p232)。
 

それにしても、さまざまな前提・制約の下で作成される(したがって誤差も大きい)物価指数の、しかもコンマ以下の数字の変化に一喜一憂するという現状は果たして健全か。物価の安定の重要性を否定するものではないが、世間はこのことについてあまりにも神経質になりすぎているのではなかろうかという感を禁じ得ない。


 うーん、ここ何年かの消費者物価指数(コアCPI)の変化見てみましょう(年平均)

コアCPI(%)
2008 1.4
2009 -1.4
2010 -0.7
2011 -0.3
2012 0.0

当時は、まだゼロ近辺をうろうろしていたんですよね。うがった見方かもしれませんが、この発言を見ると「ゼロ近辺でもOK」といっているように思ってしまう。

第5章 何をすべきか?
 本章ではこれからの経済政策として財政、金融、成長政策の分野で何をすべきかを述べた箇所です。湯本先生のスタンスがハッキリ分かる箇所でしょう。

 第5章は注釈を含めて全部で20ページ弱なのですが、デフレの原因を述べて(潜在成長率の低下)、成長率を高める構造改革を訴えるているのが6ページ。金融政策についてはわずか1ページ!(マジで) 金融政策については時間軸の強化と必要とあれば量的緩和(「基金」を通じてやればなおよし)をやるべきと書いてあるのみです。

 じゃあ、残り13ページには何を書いてあるかというと、延々と財政再建(増税含む)の必要性を訴えているんですよね(笑) 最後にこれかあ。

 今から思い返してみると、当時の民主党は湯本先生の主張通りの経済政策を行ったと言えるでしょう。民主党の経済政策についてなにかコメントを残してないかな?

まとめ
 湯本先生はハッキリ書いてくれるので「ああ、あれはそういう意図(目的)だったのね」と思うことが多く勉強になりました。特に第1章と第2章はリフレ派であろうともそうでない方であろうとも非常に役立つと思います。第5章には賛同しないけどね(笑) しかし、最後の最後で財政再建がでてくるとは……読んでいてびっくりした。

*1:本書が出た当時(2011年12月)は「物価安定の理解」

*2:もちろん、このことは同書で湯本先生も指摘していますが