くじらのねむる場所@はてなブログ

岡山県南西部在住。1983年生まれの40歳。経済、ミステリ、ウイスキー等について細々とブログに書いています

少しでも想像力があれば……

「ダウン症含め『生産性のない人』を増やして、国は何がしたいんだと思いますか?」


 人間少しでも長く生きていれば、「本当に運が悪いとしか言いようがない」事例を見聞きするはずだ。いや、自分の周囲を見渡せばそういう人が必ずいると思うんだがなあ。

 ああ、こういう人たちは、どっかに、国のお金(=自分たちの税金)を食い物にしている人が存在すると思っているんだろうな。

 もちろんそういう人はいるだろう。でも、生活保護などの社会保障の制度のおかげで助かっている人がいるのも事実。それを「不正受給する人もいる」、「生産性のない人を生かすなんて無駄」といって切り捨てるのは、いくらなんでも同意はできないなあ。

これにはふたつ問題があると思う。

 ひとつ目は「誰がその基準を決めるのか?」という問題。「生産性の有無」で決める?でも、「生産性」ってなんだろう? 一般的に「生産性」は「労働生産性」――労働者一人あたりどれだけ財やサービスの付加価値を生産するか――だけど、世の中には家事労働やボランティアなど、無償労働というものが存在する。これらは一般的に生産性の計算には入れない。

 ということは専業主婦のカーチャンなんかは「生産性のない人」になっちゃう。「家事なんかをやってる生産性のないカーチャンなんて生かしておく価値なし」って、口が裂けても言えないよね(笑)。

 

 ふたつ目。現代社会において、ほとんどの国は「生産性のない人を生かしておく価値なし」という態度を表明していないという事実。

 過去――過去と言っても70年*1ぐらい前だけど――「社会に無用なものは生かしておく価値なし」っていって、実際に強制収容所でバンバンそういった人たちを殺していった国が存在していたんだ。その国では、ユダヤ人、障害者、ロマ(ジプシー)、そして同性愛者*2なんかが処分の対象になった。

 

 こんな国に住みたいんだろうか。いやあ、私は住みたくないなあ。

 
 いまの国家はほとんど「その国に生まれれば、赤ちゃんから老人まで(ゆりかごから墓場まで)、病気になろうが障害を持とうが犯罪者に襲われようが、(可能な限り)国家が面倒を見ます」という態度の国がほとんどだ(建前だとしてもね)。

 
 なぜだろう?


 それはやっぱり私たちが後者の体制の国を望んでいたからだろう。

 そりゃそうだ。「基準に外れたものは切り捨てます。あ、その基準はもちろん政府側で決めますんで(・∀・)ニヤニヤ」という国になんて税金払いたくねーもん(笑)。

 それより、仮に建前だろうとも「政府はあなたがどんな状況に陥ろうともあなたを全力で守ります」という国のほうに税金払いたよね。


 結局、こういうった疑問を持つ人は想像力がないのだろう。自分が健康で働けているからといって、他人がそれと同じだとかぎらない(逆もまたしかり)。ロールズの「無知のヴェール」ぐらい知っておかないとなあ。

*1:たった70年前なんだよね。いつもそれを思い返して不思議な気分になる

*2:子どもを産まないからって理由