先日、県立図書館で著名なマクロ経済学者のインタビューをおさめたスノードン&ヴェイン著『マクロ経済学はどこまで進んだか』を借りました。
家に帰ってネットでの評判を確認するために本書を検索してみたところ、himaginaryさんの次のエントリーがヒットしました。
マクロ経済学はどこまで進んだか・誤訳指摘(himaginaryの日記)
そんなにヒドいのかΣ(゜д゜ まだはじめの方しか読んでないけど読むのに慎重になってしまうなあ(とはいうもの英語どころか国語力も怪しい私にとっては読み進めるしかないんだけど)。
今回、一番目当てだったのは『マクロ経済学はどこまで進んだか』ではなく、ワイツマンの『シェアエコノミー』です。先日、学生時代に使っていたマクロ経済学の教科書を読み直していたところ、コラムで本書が(やや批判的に)取り上げられていたので、興味を持った次第。ちなみに本書は1985年(原書は1984年)に出版された本です。約30年前! しかも本書は(約30年前の)日本の賃金制度(ボーナス制度)を好意的に評価しているんですよね。日本語版への端書きを少し引用してみましょう。
私は、『シェア・エコノミー』の考え方は、他のいかなる国よりも日本に対して関連性が高いのではないかと思う。それ以外の国が、固定賃金制度という構造的硬直性によって動きが取れないのに対して、日本の労働市場は、比較的伸縮的な労働報酬メカニズムを享受しているように見える。この両者の違いはなぜ重要なのであろうか。
それは、ほとんど主要なマクロ経済学的問題が、究極的には、労働支払制度としての賃金制度に帰着するからである。景気循環のほとんどの理論的説明においては、粘着賃金が、長い間、非自発的失業の究極的原因であるとされた。西欧においては、全ての雇用された労働者は、所得パイがオーブンから出される前に、パイの大きささえ知られていないうちに、前もって決められたパイの切れを与えられる。この「社会契約」は、労働者にその会社の健康状態とは独立な固定的賃金を約束し、会社の側には雇用水準を変化させることを許す。雇用された労働者は安定的貨幣所得を享受することができるが、それも、失業を勤続年数の低い労働者に押しつけ、インフレを全ての人に押しつけるという非常な費用を払ってのことである。これは、労働者全体の実質所得を減少させ、同時にそれをいっそう不安定にするという意味で、社会的に劣った危険分担制度だと言わざるをえない。
ケインジアンの政策革命とマネタリストの反革命は、共に、中心的問題から目もくらむほど逸脱している。ケインズ主義とマネタリズムの共通の欠点は、それらが、何らかの貨幣的集計量を巧みに操ることによって、労働市場の機能障害を迂回しようとする点にある。既にわれわれが経験から学んだように、そのような純粋のマクロ経済学的アプローチは、遅かれ早かれ困難に遭遇する。これに対して、『シェア・エコノミー』の命題は、もっと期待の持てる長期的な解決策は、(固定)賃金制度を修正、あるいは、廃止することによって、労働市場を改革することだというものである。利潤シェア制度は、スタグフレーションを本当に根本から断つことのできる、失業とインフレへの自然な抵抗力を経済に植え付ける方法なのである。(p5−6) ()は引用者注
とりあえず読んでみるか。ちなみにワイツマン先生はいまだご活躍中のようです。
Martin L. Weitzman (Harvard University)
ワイツマン先生はホームページで次の文章を公開しています。
Bonuses and Employment in Japan. (1987)*pdfファイルです
かなり古い文章ですが、興味がある方は読んでみるのもいいかもしれません。