くじらのねむる場所@はてなブログ

岡山県南西部在住。1983年生まれの40歳。経済、ミステリ、ウイスキー等について細々とブログに書いています

マクロ経済学の素晴らしい見取り図(ヨラム・バウマン著/山形浩生訳『この世でいちばんおもしろいマクロ経済学』)

 私がいわゆる「マクロ経済」というものに興味を持ったのは、2002年に買った『クルーグマン教授の経済入門』でした。それ以来何度あの本を読み返したことでしょう。私のマクロ経済観は『クルーグマン教授の経済入門』で養われたといってもいい。

 さて、本書も「マクロ経済学」と銘打たれていますが、どちらかというとクルーグマン本寄り。まず、本書の構成が一般的なマクロ経済学の教科書の構成とはずいぶん違う。

 だいたい、一般的なマクロ経済学の教科書は、第1章 国民所得計算、第2章 成長理論(ソローモデル)、第3章(このあたりから各教科書によって違いが出てくる) IS−LM、政府の役割……と続きます。

 だけど、本書はまずはじめにマクロ経済学の2大目標――1.長期的な生活水準の向上(=長期的な経済成長)を目指す 2.短期的な景気の変動をどう抑えるか――を述べます*1。その後は、失業、貨幣(金融政策&インフレ(デフレ))の説明と続きます。一般的なマクロ経済学の教科書でまず教えられる「国民所得計算(GDPのことですな)」なんて第5章(p60)からだ。

 本書は一般向けの経済書なのでこの構成でいいと思う。やっぱり、私たち一般人が「マクロ経済学」にすがりつくのは、目の前の失業、給料の減少、インフレ/デフレをどうにかしたいからだ。いきなりマクロ経済学の教科書に飛びつくと、しょっぱなに「国民所得計算」の解説で、次が「長期の成長理論」だからなぁ。私も「長期の成長理論」を勉強するのは苦痛だった。だって、こっちは「日本経済が成長しない理由」を、知りたくて勉強してるのに、「成長の要因はこれとこれです!*2」ってねえ……。成長のイメージがないから別の世界のことを勉強している気分だった。

 閑話休題。本書は一般的向けの解説書です。『クルーグマン教授の経済入門』との違いは、前書が「アメリカ経済」を解説しているのに対し、本書は「マクロ経済学」を解説している点。だから一度でも「マクロ経済学」を学んだ人なら、「だいたい知っているよ」ということばかりです。たとえば、

  • 「長期的には貨幣は中立」(p34)
  • 名目金利より実質金利の方が大事」(p53)
  • 「インフレ率は2〜3%が経済にとっていい」(p56)
  • 「名目GDPより実質GDPを見た方がいい」(p66)
  • 自由貿易はいい」(p89)
  • 中央銀行は外貨を売買して為替レートを左右することができる」(p144)
  • 「短期的な景気の変動は金融政策と財政政策で対処する」(p153)
  • 高齢化社会による社会保障の増大には、1.支給額を減らす、2.増税、3.借金、4.医療費の効率化、5.経済成長、という対処策がある」(p200)
  • 「(マクロ経済学者が毎日喧嘩ばかりしていて、マクロ経済学が進歩してないように見える理由として)ほとんどのマクロ経済学者は9割方同意している。しかし、残り1割の部分で喧嘩してる。そして経済学者の喧嘩となるとみんな大喜び(笑)*3」(p216)

などなど。

 翻訳者も解説で「本書の記述は比較的慎重で、両論併記で穏当」と述べているように、経済学者にこれらのことをぶつけたら、だいたいの学者が「そうですよ」と、答えてくれることばかりです。

 でも、日経新聞ばかり読んでる人や、マクロ経済学を学んでいない人の中には、「マジで!?」とか「毛唐野郎の言うことは信用ならん!」と、反発する人もいるかもしれません。

 だったらこれをきっかけに経済学を勉強しましょう!本屋の経済書コーナーに行けば優れた経済学の教科書がたくさんあります。いまだと何がいいかなぁ?スティグリッツ、マンキュー、クルーグマン……おっと、海外の先生ばかり紹介してしまった。日本人の先生が書かれたものだと、ミクロで、西村和雄先生や武隈先生。マクロだと中谷巌先生や井堀利宏先生の教科書が定番かしら?*4まあ、ここまで集める必要はないと思うけど(笑)↓

 

 



 もちろん教科書を買わなくても本書を読むだけでも結構使えると思います。

 たとえば、ネット上の記事などで「失業率を下げるには雇用の流動化が必要だ!(キリッ)」と述べて、ネット上の良識ある方々からボロクソに批判されている場面をよく見かけます。実はひとくちに「失業」といっても、マクロ経済学は「失業」を3つに分けるんですよね。

  1. 摩擦的失業(転職などで生じる一時的な失業)
  2. 構造的失業(労働需要と供給が崩れたときに生じる長期失業)
  3. 循環的失業(短期的な景気の変動による失業)

※1と2の失業を合計したものが「自然失業(率)」

 ほとんどの(マクロ)経済学者は1と2については同意します。3の失業について見解が分かれる。大ざっぱに言うと、新古典派*5は3の循環的失業を認めない。対して、ケインズ経済学派*6はこれを解決すべき問題として注目する。そして、それぞれの失業に対しては用いる対策は違う。1の摩擦的失業はしょうがないとして、2の構造的失業の場合は、労働需要と供給がスムーズに一致するように、労働市場規制緩和などが対策として考えられる。3つめの摩擦的失業の場合は、経済を上向かせる政策――積極的な財政政策*7や拡張的金融政――が考えられる。

 さて、ここまで踏まえて一番はじめの発言を考えてみましょう。「失業率を下げるには雇用の流動化が必要だ!(キリッ)」という発言をした人は、次の可能性が考えられます。

  1. 意図的に「構造的失業」と「循環的失業」を混同している(その対策も)。
  2. 「循環的失業」を認めない立場をとっている
  3. そもそも上記の区別を知らない。

 だから、こういった発言を見かけた場合、まずすることは「短期的な景気の落ち込みによる失業はどうすればいいでしょう?」と、発言者に聞くことです。

 「何それ?」とか「短期であろうが長期であろうが市場にまかせればいいんだよ(いま失業している人は高望みしすぎ)」と答えたならば、「ああ、この人は『循環的失業』を認めない(知らない)人なんだな」と分かるし、「私は長期の話をしているのであって、短期的な変動は政府や中央銀行が対策をとるのは当然だ」という答えならば、「ああ、この人はちゃんと『循環的失業』を認めている人なんだ。それを知っていて長期の話をするなんて、なかなか食えん人だな」と分かる。

 こういったことを認識して議論すれば、ネット上の議論ももう少し実りあるものになる……かな?それともやっぱり「ネット上の議論なんて最終的にウンコの投げ合いにしかならねーよ」なのかなぁ。


 もうひとつ例を挙げましょう。本書のP116から途上国のタコ部屋労働が取り上げられています。この部分は翻訳者の注釈があるとおり、日本のブラック企業問題と同じ問題です。

 ネット上だと、こういったブラック企業に対しては、法で取り締まれという意見が大半で、こういった問題に対して口数少ない((それどころか擁護するように見受けられる発言をする)経済学者に対して、ネット上の良識ある方々からボロカスに批判されています。

 なぜ、経済学者はこの問題に対してモゴモゴしてしまうのでしょう。それは「人々の選択を制約するのは、その人の利益にならない」と経済学者が信じているからです(p121)。それに法で縛っちゃうとおそらく「構造的失業率」が増えるから、(短期的はともかく)長期的にはマズイとも思っているのでしょう。

 「やっぱり経済学者というのは、権力者の味方だったんだな。全員縛り首だ!」とはやる人がいるかもしれませんが、少々お待ち下さい。別に、経済学者はブラック企業が素晴らしいといっているわけではありません。法で取り締まる以外の解決策も提示しています。いくつか挙げてみましょう。

  1. ブラック企業を法で取り締まる(経済学者にはあまり人気がない)
  2. (財政政策や金融政策で)景気を上向かせる=就職できる椅子を増やす(労働者の選択肢を増やす)
  3. 低賃金労働者に対して政府がゲタを履かす(「負の所得税」や「ベーシックインカム」などがこれ)
  4. 政府が「あえて働かなくてもいい」という選択肢を提示して、今の賃金水準で働きたくない人を労働市場から退出させて労働市場における需給を調整する(小野理論バージョン2)*8

 どれがいいのでしょう。とりあえず全部やっちゃえ!いや、本当にどれも対立していることじゃないから全部できる!……はず。まあ、今の政府じゃ無理か。なぜできないのかは経済と言うより政治なので、本書の範囲を大きく超えちゃう。


 というわけで、後半は私なりに本書を使って考えてみました。蛇足だったかな?(笑)


 新聞やニュースで経済のニュースが流れない日はありません。本書は経済という荒波を乗り越える際に頼もしい味方となるでしょう。本書を携えて経済の海へ出られる方へ一言――よい御航海を!*9

この世で一番おもしろいマクロ経済学――みんながもっと豊かになれるかもしれない16講

この世で一番おもしろいマクロ経済学――みんながもっと豊かになれるかもしれない16講

*1:ちなみクルーグマン本だと、人生に大きな影響を与える、「生産(所得)」、「失業」、「所得分配」の解説から始める。

*2:ソローモデルの場合、「労働」と「資本」それに「技術」だったかな。

*3:この部分は大笑いした(笑)

*4:とはいえ、これらは私が勉強開始した頃(約10年前)の定番本なのでいまは変わっているかも。

*5:市場にまかせればいい派

*6:市場にまかせるだけではうまくいかない場合があるので積極的に対処していこうという派

*7:いわゆる公共事業

*8:この動画の52:00あたりから

*9:蛇足ながら、この締めは『クルーグマン教授の経済入門』のポール・A・サミュエルソンの序文の締めを踏まえています