いま、根井雅弘先生の『サムエルソン『経済学』の時代』を読んでいます。本書の内容を簡単に説明すると、ポール・A・サムエルソンの『経済学』を軸としながら20世紀のマクロ経済学の流れを描いた経済史本といえます(詳しい感想はまた後日)。
本書の中に、サムエルソンがマネタリストについて述べた文章が引用されているのですが、一読してドキリとしてしまった。孫引きになるけど引用。
マネタリズム(貨幣主義)については、私はごく簡単に触れたいと思う。それには、よく吠えるがめったに噛みつかない犬のようなところがある。もっとも純粋でかつ毒気を含んだ形のマネタリズムを定義すれば、それは税率の変更が総支出になんらの影響も及ぼさず、また支出の変化もインフレあるいは失業水準になんら重大かつ永続的な効果をもたないという主張であるといえよう。つまりFRB(連邦準備制度理事会)が貨幣供給の増加率を一定に保つなら、投資機会の変動でさえインフレ効果、デフレ効果を持てないし、結局貨幣供給伸び率の変化だけがインフレあるいはデフレに予測しうる波及効果を持ちうるにすぎない、というわけなのだ。この意味で、問題となるのは貨幣量だけなのである。
この文章の後、根井先生はAD-AS分析を用いて、サムエルソン(新古典派総合)とフリードマン(マネタリスト)の違いを説明しています。根井先生の説明によると、
- マネタリストは総需要(AD)曲線を動かす主な変数としてマネーサプライのみに焦点を当てているのに対し、新古典派総合はマネーサプライだけでなく、政府支出や税金も考慮に入れていること。
- マネタリストは短期総供給(AS)曲線を潜在産出量付近で垂直とみなすが、新古典派総合は景気後退期では水平に近い形としてとらえていること。
という違いがあるらしいです。
一応、私もリフレ派と称されるグループの末席に座っているつもりなので、この文章にはドキリとしてしまった。ただ、いわゆるリフレ派と言われる人たちでも、サムエルソンが指摘するようなガチガチなマネタリストは少数派でしょう。景気対策は、金融政策と財政政策の両方大事と言うことで。