もうちょっとうまい喩えを考えてみる
経済関係雑記帳のdmさんが日本経済の現状を車の運転にたとえて説明しています。
なかなかいい喩えだと思いますが、「?」と、思う箇所もあり。たとえばこの部分、
一般の人からの質問だから、比喩でこたえたいと思う。つまり、日本という国は、シートベルトもつけずに高速を100キロ以上で走ってると。
経済成長を車のスピードにたとえているならば、ここ20年停滞しているのに、「100km/h以上で走っている」という表現はおかしいし、いくら日本の社会保障が貧弱だといってもシートベルトぐらいは備え付けているでしょう。
この車の喩えはいいアイデアなので、もうちょっとうまい言い方ができないかなと思ったので、私なりに考えてみました。
さて、日本経済を車にたとえてみると、エンジンやタイヤ部分が「産業構造」、速度計や回転計などの計器部分が「経済指標」、安全装備や居住性が「社会保障制度」、そして、車のスピードが「経済成長(率)」に、喩えられるでしょう。
これらを踏まえて説明してみると、いまの日本経済という車は、「流動性の罠」というぬかるみにはまっています。だからここ20年ぐらい、いくらアクセルを踏んでもほとんど前に進まなかった。
この状況に対して車の中に乗っている人たち――専門家から私のような素人まで――がいろんな説を唱えました。
曰く「グローバル化で産業構造が変化したせいだ、いままでの古いエンジンじゃ抜け出せないので、新しいエンジンに変えよう!」。曰く、「安全装置がガチガチすぎて、運転手が自由に運転できない。運転手の腕を自由にさせるために、もうちょっと簡単な安全装置にしよう!」。曰く、「車の居住性が良すぎて、中に乗っている人が怠けている。多少居住性を削減した方が、乗っている人も本気を出すはず。居住性を悪くしろ!」。
最近では、「いま車に乗せている計器類は、日本号(車の名前ね)の現状を正しく表しているとは言えない。計器類そのものを変えよう!」という説まで出てきています。
一体どれの説が正しいのでしょうか?……あぁ、忘れてた。もうひとつ面白い説を唱えている人たちがいるんだ。
それが、通称「リフレ派」。彼らは車を動かすために必ず必要なもの――ガソリン(の量)――に注目したんだ*1。たしかに、車についてる燃料計を見てみると、メーターの針はこの20年間常に0近辺を指し示したままだ(燃料残量警告灯がついている状態)。
もちろん日本にもガソリンスタンドがある。その名は「BOJ」。全国47都道府県に支店を持つ全国グループだ。でも、彼らはあまりガソリンを売りたくないみたい。理由を聞くと、「あまりガソリンを供給してしまうと、みんな安心してアクセルを踏みまくるでしょう。そうすると事故が増えて大惨事になる確率が高まる」と、(真顔で)答えるんだ。
さらに、「(車に乗っている一部の人は)ガソリンが少ない少ないと、言っているが、日本号のサイズからすれば十分な量のガソリンを供給してますよ。」とも言っている。
うーん、先のことまで見据えてガソリンを売っているとは、立派なガソリンスタンド……なのかな?(笑)
どんなもんでしょ?自分ではうまい喩えだと思っているのですが……さて、そろそろ私の立場を書いて終わりにしましょう。車がぬかるみにはまった時の対処法は主に3つあります。
- 後ろから(主に人力で)押してもらう(財政政策)
- ワイヤーを引っかけて、他の車に引っ張ってもらう(外需を利用した回復)
- 前のタイヤに、板や布等摩擦力を回復できそうなものを噛ませる(期待インフレ率の操作?)
どれがいいんだろう?海外の状況を見る限り2番は無理そうだ。だったら1番、3番全部やればいい!もちろんやり過ぎで、脱出するどころか、飛び出し過ぎちゃうかもしれない。でも、それが嫌だからと言って、ぬかるみにはまったままでいいとは言えないでしょう。
dmさんの「アクセル踏みますか?」という問いに対する私の答えは、
「まず燃料を満タンにして、前のタイヤに板か布きれ噛ませて、後ろから押してもらいながら(ゆっくり)アクセルを踏む。」
です。
あとがき
トラックバックを送ろうと思ったがBloggerってトラックバック機能がないのね。まあいいや(笑)
*1:厳密に言うとこれは間違い。リフレ派「期待インフレ率」を高めようとする立場だからね。量だけに注目すると「貨幣数量説」になっちゃう