くじらのねむる場所@はてなブログ

岡山県南西部在住。1983年生まれの40歳。経済、ミステリ、ウイスキー等について細々とブログに書いています

もうちょっとうまい喩えを考えてみる

 経済関係雑記帳のdmさんが日本経済の現状を車の運転にたとえて説明しています。

アクセル踏みますか?(経済関係雑記帳)

 なかなかいい喩えだと思いますが、「?」と、思う箇所もあり。たとえばこの部分、

一般の人からの質問だから、比喩でこたえたいと思う。つまり、日本という国は、シートベルトもつけずに高速を100キロ以上で走ってると。

 経済成長を車のスピードにたとえているならば、ここ20年停滞しているのに、「100km/h以上で走っている」という表現はおかしいし、いくら日本の社会保障が貧弱だといってもシートベルトぐらいは備え付けているでしょう。

 
 この車の喩えはいいアイデアなので、もうちょっとうまい言い方ができないかなと思ったので、私なりに考えてみました。

 
 さて、日本経済を車にたとえてみると、エンジンやタイヤ部分が「産業構造」、速度計や回転計などの計器部分が「経済指標」、安全装備や居住性が「社会保障制度」、そして、車のスピードが「経済成長(率)」に、喩えられるでしょう。


 これらを踏まえて説明してみると、いまの日本経済という車は、「流動性の罠」というぬかるみにはまっています。だからここ20年ぐらい、いくらアクセルを踏んでもほとんど前に進まなかった。

 この状況に対して車の中に乗っている人たち――専門家から私のような素人まで――がいろんな説を唱えました。

 曰く「グローバル化で産業構造が変化したせいだ、いままでの古いエンジンじゃ抜け出せないので、新しいエンジンに変えよう!」。曰く、「安全装置がガチガチすぎて、運転手が自由に運転できない。運転手の腕を自由にさせるために、もうちょっと簡単な安全装置にしよう!」。曰く、「車の居住性が良すぎて、中に乗っている人が怠けている。多少居住性を削減した方が、乗っている人も本気を出すはず。居住性を悪くしろ!」。

 最近では、「いま車に乗せている計器類は、日本号(車の名前ね)の現状を正しく表しているとは言えない。計器類そのものを変えよう!」という説まで出てきています。

 一体どれの説が正しいのでしょうか?……あぁ、忘れてた。もうひとつ面白い説を唱えている人たちがいるんだ。

 それが、通称「リフレ派」。彼らは車を動かすために必ず必要なもの――ガソリン(の量)――に注目したんだ*1。たしかに、車についてる燃料計を見てみると、メーターの針はこの20年間常に0近辺を指し示したままだ(燃料残量警告灯がついている状態)。

 もちろん日本にもガソリンスタンドがある。その名は「BOJ」。全国47都道府県に支店を持つ全国グループだ。でも、彼らはあまりガソリンを売りたくないみたい。理由を聞くと、「あまりガソリンを供給してしまうと、みんな安心してアクセルを踏みまくるでしょう。そうすると事故が増えて大惨事になる確率が高まる」と、(真顔で)答えるんだ。

 さらに、「(車に乗っている一部の人は)ガソリンが少ない少ないと、言っているが、日本号のサイズからすれば十分な量のガソリンを供給してますよ。」とも言っている。

 うーん、先のことまで見据えてガソリンを売っているとは、立派なガソリンスタンド……なのかな?(笑)


 どんなもんでしょ?自分ではうまい喩えだと思っているのですが……さて、そろそろ私の立場を書いて終わりにしましょう。車がぬかるみにはまった時の対処法は主に3つあります。

  1. 後ろから(主に人力で)押してもらう(財政政策) 
  2. ワイヤーを引っかけて、他の車に引っ張ってもらう(外需を利用した回復)
  3. 前のタイヤに、板や布等摩擦力を回復できそうなものを噛ませる(期待インフレ率の操作?)

 どれがいいんだろう?海外の状況を見る限り2番は無理そうだ。だったら1番、3番全部やればいい!もちろんやり過ぎで、脱出するどころか、飛び出し過ぎちゃうかもしれない。でも、それが嫌だからと言って、ぬかるみにはまったままでいいとは言えないでしょう。

 dmさんの「アクセル踏みますか?」という問いに対する私の答えは、

 「まず燃料を満タンにして、前のタイヤに板か布きれ噛ませて、後ろから押してもらいながら(ゆっくり)アクセルを踏む。」
です。



あとがき
 トラックバックを送ろうと思ったがBloggerってトラックバック機能がないのね。まあいいや(笑)   

*1:厳密に言うとこれは間違い。リフレ派「期待インフレ率」を高めようとする立場だからね。量だけに注目すると「貨幣数量説」になっちゃう