くじらのねむる場所@はてなブログ

岡山県南西部在住。1983年生まれの40歳。経済、ミステリ、ウイスキー等について細々とブログに書いています

知る勇気を持とう!(ゲルト・ギーゲレンツァー著「リスク・リテラシーが身につく統計的思考法」感想)

2011/05/04 エントリータイトル修正。
エントリータイトルの著者名を修正しました。ご指摘ありがとうございました。

目次
第1部 知る勇気
1 不確実性
2 確実性という幻
3 数字オンチ
4 洞察

第2部
5 乳がん検診
6 (非)インフォームド・コンセント
7 エイズ・カウンセリング
8 妻への暴力
9 法廷のエキスパート
10 DNA鑑定
11 暴力的な人々

第3部 数字オンチを解消する
12 数字オンチはどう搾取されるか
13 愉快な問題
14 明晰な考え方を教える

 本書は、数字オンチの人に向けた統計の入門書です。著者によると数字オンチとは、

  • 確実性の幻にとらわれている
  • リスクに関して無知である
  • リスクの伝達ミスを犯している
  • 的外れな考え方をしている

人のことを指します。

 本書には、著者が主張する統計的思考を身につけるための3ステップがいたる所に顔を出しています。その3ステップとは、

  1. まず確実性の幻を打ち破り、
  2. 実際のリスクを学び、
  3. そのリスクを理解できる方法で伝え、的外れな考え方に陥らないこと。

です。

 確実性の幻を打ち破る方法として著者は、ベンジャミン・フランクリンの言葉を引用しています。その言葉とは、「死と税金の他には、確実なものは何もない」。ようするに生きると言うことは不確実な世界に身を置いているということですね。次にリスク情報の取得、著者は各種公式統計へのアクセスを薦めています。最後にリスクの伝達方法として、著者は相対頻度よりも自然頻度で伝える方が理解しやすいとして、自然頻度で伝え、理解させることを薦めています。大まかな内容としては以上です。

 著者は統計学の専門家ではなく心理学を専攻しているため、「一般市民は何を恐れるか?」という心理についても書いています。著者によると心理学的調査は、不安を特に3つ明らかにしているそうです。以下引用。

・準備性
 ある対象に対する恐れを一度あるいは数回で学習できる能力は「準備性」と呼ばれる。(中略)しかし、人間は進化の中でごく最近になって世界を劇的に変化させた。これが、私たちが何を恐れるかということと、実際に何が一番危険かと言うことは必ずしも一致しない理由のひとつである。 
・災害
 人は多くの生命が一度に危険にさらされる状況を恐れがちだ。同じカズの死者が出る状況でも、長期にわたるならあまり恐れない。(中略)学習の準備性と同じで、災害に対する不安は進化的な合理性を持っている。あるグループの人口が一定数以下になればグループは絶滅するかもしれない。だが、同じ人口減少でも長年かかって起こるのなら、そのコミュニティあるいは種は減少をうまく補って生き延びる可能性がある。
・未知の危険
 ひとは新しい知らない危険を怖がる。たとえば飲酒よりも遺伝子工学原子力技術を恐れるのもその一例だ。新しい危険をはらむ可能性のある技術が支配者や外国などよく知らない人々にコントロールされていると思えば、恐怖は増大する。

 最後に、エントリータイトルに「知る勇気」と言う言葉を用いましたが、これも本書から拝借です。著者によるとこの言葉はカントの「啓蒙とは」からの言葉らしい。その箇所を引用(孫引き)

啓蒙とは、自分で自分に貸した未熟から立ち上がることだ。未熟とは、よそからの指導なしには自分の理解力を行使できないと言うことである。この未熟さは、その理由が理解の不足にあるのではなく、よそからの指導なしに自らの理性を用いる勇気のなさとためらいにあるとき、自ら課したものとなる。知る勇気をもて!

この後に続く著者の言葉もすばらしい。さらに引用。

明快で見事な姿勢ではないか。鍵は「勇気」という言葉である。なぜ勇気が必要かといえば、自分自身の理性を使って考えれば、自由と自立を感じられるだけでなく、罰や苦痛を味わうこともあり得るからだ。
(中略)
 個人にとっても社会にとっても、不確実性に耐えて生きることを学ぶのは厳しい仕事だ。人類の歴史の大半を動かしてきたのは、神や運命が自分たちの血族、人種、宗教に最高の価値があると決めたと信じ、したがって対立する思想を、その思想に毒された人間もろとも滅ぼす権利があると思い込んだ人々だった。現代社会は不確実性と多様性に対する許容力を広げる方向へとはるかな歩みを続けてきた。だが私たちは今もなお、カントが思い描いたような勇気と知識のある存在には程遠い。この目標はラテン語ではたった二つの言葉で表される。Sapere aude――「知る勇気をもて」である